← 記事一覧

Apple は NeXT を立ち上げた Steve Jobs を訴えた。その11年後、Mac を救うために NeXT を買収した。

1985年、Steve Jobs が5人の社員を連れて Apple を去り NeXT を立ち上げると、Apple は彼を提訴しました。和解の結果、NeXT はハイエンドのワークステーションへと向かい、そこで生まれたOSが Mac OS X の土台になりました。記録に実際に何が書かれているのかを紹介します。

机の上のコンピュータワークステーションと、その前に置かれたオフィスチェア。

この話には、よく語られるバージョンがあります。Steve Jobs が Apple を去り、数人の社員を連れていった。Apple は彼に Mac 互換のコンピュータを作ることを禁じ、そのせいで彼はまったく新しいものを発明せざるをえなかった、というものです。よくできた話です。一部は本当で、伝説よりも面白い部分もあります。どこが事実でどこが伝説なのかを整理するため、資料にあたり直してみました。

1985年9月:Jobs が去る

1985年の夏までに、Jobs は Apple での経営上の役割を奪われていました。その間、彼は大学を回り、理想のコンピュータとはどんなものかを聞いていました。9月初め、彼はノーベル賞受賞者の Paul Berg と昼食をともにし、Berg は「ウェットラボ」での遺伝子組み換え研究がいかに大変かを語りました。Jobs がそうした実験をコンピュータでシミュレーションしてはどうかと提案したことで、NeXT の構想が形になっていきました。

1985年9月12日、Jobs は Apple の取締役会に、何人かの社員を連れて高等教育向けのコンピュータを作る会社を始めるつもりだと伝えました。Apple Confidential 2.0 によると、彼は話を小さく見せ、その社員たちを「下っ端」だと説明したといいます。

実際はそうではありませんでした。彼と一緒に去った5人は次のとおりです。

  • Susan Barnes:米国の営業・マーケティング部門のシニアコントローラー
  • George Crow:エンジニアリングマネージャー
  • Dan'l Lewin:高等教育市場に Mac を販売するチーム、Apple University Consortium の責任者
  • Rich Page:Apple Fellow
  • Bud Tribble:ソフトウェアエンジニアリングのマネージャー

Jobs がこの名前を伝えると、当初は新会社への出資も話し合っていた取締役会は強く反発しました。Jobs は会長職を辞任しました。

訴訟

1985年9月23日、Apple はサンタクララ郡上級裁判所に提訴しました。Apple の主張は、Jobs がまだ会長の座にありながら競合する会社を計画し、そのために Apple の社員を引き抜いたことで、会社の機密を不正に流用し、受託者としての義務に違反した、というものでした。Wikipedia と Low End Mac(Frank Rose の著書 West of Eden を引用)は、訴状が共同創業者たちの内部情報を利用しようとする「悪辣な企み」があったと NeXT を非難していたと伝えています。Time は、Jobs が新しいコンピュータの機密計画を不正に流用しようと「ひそかに企んだ」という Apple の申し立てを報じました。

Jobs はマスコミに訴えました。彼の名セリフはこうです。「4,300人以上を抱える20億ドル企業が、ジーンズ姿の6人に太刀打ちできないなんて、とても考えられない」

Apple 側は、本当は争いたくなかったと述べています。法務責任者の Albert Eisenstat は Time に「私たちは本当にしぶしぶこうしたのです」と語りました。取締役たちは、何もしなければ株主から自分たちが訴えられかねないと心配していたのです。

1986年1月:和解

この訴訟が公判に至ることはありませんでした。Apple は1986年1月に法廷外で和解しました。AppleInsider によると、主な条件は次のとおりです。

  1. Jobs は6か月間、これ以上 Apple の社員を雇わない。
  2. NeXT のマシンは、Apple のどのコンピュータよりも高性能でなければならない。

重要なのは2つ目の条件です。当時、業界ではマシンをパーソナルコンピュータとワークステーションに分けていました。実質的に、この和解は NeXT を Mac の市場から遠ざけ、高価なハイエンドのワークステーションへと向かわせました。

ファクトチェック:伝説の誤り

  • 「Apple は Mac 互換のコンピュータを禁じた」 私が読んだ資料のどれにも「Mac 互換」という言葉は出てきません。記録に残っている条件は、Apple より高性能であることという要件です。それによって NeXT は Mac の市場から遠ざけられましたが、和解の文言に「Mac クローン禁止」と書かれているわけではありません。
  • 「Jobs は新しいOSを発明せざるをえなかった」 NeXT は最初から大学向けのワークステーションを狙っていました。研究室のシミュレーションをこなせるほど高性能で、それでいて学生寮の部屋に置けるほど安いマシンです。和解はそれをさらに高価格帯へと押し上げましたが、白紙から設計するというのは Jobs 自身の計画でした。
  • 出荷禁止の具体的な日付 NeXT は特定の日付まではハードウェアを出荷できなかった、と語る人もいます。下に挙げた資料のどこにもそれは見つからなかったので、未確認として扱ってください。

NeXT が作ったもの

NeXT は1988年に NeXT Computer を発表し、1990年には NeXTcube と NeXTstation を続けて投入しました。これらのマシンでは、UNIX ベースでオブジェクト指向の、時代をはるかに先取りしたOS NeXTSTEP が動いていました。しかしマシンは高価でソフトウェアも少なく、売れ行きは振るいませんでした。NeXT は1993年にハードウェア事業から撤退し、ソフトウェア会社になりました。

意外な展開:Apple が NeXT を買収

1996年までに、Apple は苦境に陥っていました。自社の次世代OSである Copland は失敗に終わり、代わりを探していたのです。候補は、元 Apple 幹部が創業した2社に絞られました。Jean-Louis Gassée の Be と、Jobs の NeXT です。直接対決の「ベイクオフ」を経て、Apple は NeXT を選びました。

1996年12月20日、Apple はこの取引を発表しました。SEC に提出されたプレスリリースには、NeXT を4億ドルで買収し、Jobs が Apple に復帰すると書かれていました。多くの歴史書で使われている数字は、現金4億2,900万ドルに加えて Jobs に渡った Apple 株150万株です。取引は1997年2月7日に完了しました。Apple のリリースは、NEXTSTEP の要素が「Mac OS に不可欠な機能」になると述べていました。

実際には、それ以上のものになりました。NeXT のエンジニアリング担当VPだった Avie Tevanian が Apple のソフトウェア担当シニアVPに就任し、彼のもとで NEXTSTEP は2001年3月にリリースされた Mac OS X の基盤となりました。Jobs はアドバイザーとして戻り、1997年8月には完全に主導権を握っていました。

なぜ今も重要なのか

Apple が競合させまいと訴えた会社が、Apple の生き残りに必要なOSを作り上げました。和解から11年後、Apple は数億ドルを払って共同創業者を呼び戻し、彼の「ジーンズ姿の6人」が作ったソフトウェアも一緒に手に入れたのです。

私がこの記事を書いている Mac も今なおその土台の上で動いていますし、Agent! も同じです。Agent! が使っている AppleScript、アクセシビリティ(Accessibility)、Unix の仕組みは、すべて NeXT が作ったOSにさかのぼります。

出典